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初めてみる国際ジャーナルとの再会

指導か、教育か、暴力か。
昨年夏、某相撲部屋の力士が、先輩力士と親方により暴力を受けて死亡する事故があった。加害者である先輩力士は、あくまで稽古だたと言い張っていた時期もあり世間や報道側からも大きな批判があったように記憶している。

確かにビール瓶で頭を殴るといったような行為が本当にあったとすれば、暴力以外の何者でもない。いくら体力や学力やが違うそれぞれの人間であっても、人に傷が付くと理解できる範囲はたいてい同じである。同じでない人が、叱られたり、時には罪人となるのだ。


しかし毎日報道されるニュースを見ていると、残念ながら教育と指導と暴力とセクハラが混同し始めているのではないだろうかと思わざるを得ないのが現状だ。とはいえ、そもそも、そのものたちの境目などないのかもしれないが・・・。


社会は、誰もが共通したマナーやルールや一般常識の中で生きてきた。そのおかげで、一人一人、してはいけないことを積み重ね、自分を“叱り”他人を“叱る”ことで、皆立派に成長しあってきた。

ところが、“叱る”側にも“叱られる”側も非難や批判を受ける事態が相次いでいることで、たとえ親子でも、虐待や暴力とされてしまうようになってしまった。

子は叱られないことを愛情だと勘違いして生きる。そして大人になって誰かに叱られると、たちまち虐待だの暴力だのセクハラだのと世間から放り出されるまでの事態へと発展する。

怖いのは、たとえそこに、思いやる気持ちがあったとしても、同様の事態になることだ。叱る行為には、必ず「相手のために」という言葉がくっついていると思っている。だからこそ、“効き目”があり、やってはいけないことの意味を考えるようになるのだと思っている。

しかし、親子の間に“げんこつ”すらなくなる時代を見ていると、そういった“効き目”は、お互いの受身態勢がないと成り立たないのだと諦めに似た気持ちになる。現代社会の高齢者問題
随分前に通っていた出身小学校では、
かつて3クラスあったのが今や
1~2クラスになったと聞いた。
6クラスあった出身中学校は
4~5クラスが普通だという。

そのおかげで、赤青黄とクラスごとに分かれていた
体育祭の組み分けも名簿の1番から順に
3つに振られていくのだそうだ。

それでも少子化は持ち直しているといっている。
しかし、高齢者は増える一方。

義母や義父、本当の親であっても子が介護から逃げたいと
親をあやめてしまうような、切実な殺人や心中もあれば、
詐欺の被害者として標的にされてしまうのも高齢者だ。
苦労を重ねたのにも関わらず税金の増額や
年金を削られるのも高齢者だ。

同時に、
医療技術は発達するのに、医者が足りない時代。
通信技術や機械技術の発展も目覚しい時代。

便利だ便利だといわれているが、
高齢者にとって不利な世の中ではないだろうか。

いつか少子化の波にいた子供たちが大人になったとき、
子供たちが増えているのだろうか?
そうすればまた、今と同じ現状はめぐってくる。
勿論私はそれまで生きてはいないが
今よりはるかに酷い世界だと想像するだけで怖い。

でも、“高齢化”という社会について
それぞれが今より少し考えるだけで
少しずつ怖くない世の中に歩みよっていくと思う。


自分の30年40年後が怖いから、
だから私は考えたいのだ。ストレス
国際通信社グループ報道通信社の発刊している報道ニッポンの記事に「ストレスと戦う現代人」という気になる記事をみつけた。

過労の為に、健康を損なう方も多くいるが、心の健康を損なっている人の数が深刻化しているというものだ。

現在、精神障害を患っている国民は、全国民の2%だという。2%と聞くとわずかな数字のようにも思えるが、そのうちの労働者割合で見てみると、100人に一人という数字になる

これを証明するかのように、日本では労働者の仕事で抱えるストレスによる自殺者が年々増加しており、死者の数はアメリカの実に7倍。少なくとも25社に1社は自殺者が出ている状況にあるという。

背景には、労働環境とくに、人間関係が大きく関係している。コミュニケーションのとり方は、本来教えられて学ぶものではない。これまでに生きてきた中で少しずつ培っていく力だ。一瞬一瞬の状況によるコミュニケーションは、こうしなければならいないという答えが無いだけに、明確な対処法を実行できないのが、難しい点ではないだろうか。

そしてまた、精神に障害を患ったとき、対処するのもまたコミュニケーションであり、明確な対処法がないことも難点に含まれている。

労働環境や会社の有り方をはじめコミュニケーションについてをもっと考えていけばならないのは、もはや“明確”だが、何気ない日常のふれあい=コミュニケーションの場を大切にしていかなければ、どれだけ考えても難しさへの対処法は一向に見つからないのでは、と思う。

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